【 Information Release 10 】「平野富二 生誕の地」碑 建立 記念祭 記念講演 報告

明治産業近代化のパイオニア
「平野富二 生誕の地」碑 建立 記念祭
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記念講演◎その2
2018年11月24日[土]

○「長崎に於ける平野富二の活躍―主として小菅修船場の経営と立神ドックの建設―」
古谷 昌二|「平野富二生誕の地」碑建立有志会代表、平野富二研究家

はじめに当会代表が、平野富二の長崎での活躍について講演いたしました。

講演内容の関連記事が、当サイト「古谷昌二ブログ」内にありますので、以下リンクよりご参照ください。

【古谷昌二ブログ・2018年3月】ソロバンドックと呼ばれた小菅修船場→
http://hirano-tomiji.jp/archives/date/2018/03

現在の小菅修船場跡

小菅修船場は、2015年7月に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界産業遺産に登録された。この設備は、薩摩藩とイギリス商人グラヴァーによって建設され、日本政府が買い取って長崎製鉄所の付属としたもので、そのときの最初の修船場長が平野富次郎(冨二)であった。

【古谷昌二ブログ・2018年4月】立神ドックと平野富次郎の執念→
http://hirano-tomiji.jp/archives/date/2018/04

立神ドックを描いた明治3年8月の絵地図

平野富次郎は、明治2年(1869)3月中旬から、品川藤十郎とコンビで小菅修船場(ソロバンドック)の経営に当たり、着実に成果を挙げていた。

同年9月頃になって、平野富次郎は、小菅修船場では対応できない大形艦船の修理案件が多いことに着目し、「立神修船所繁栄策」を長崎県庁経由で内務省に提出したと見られる。それは、幕営時代の軍艦打建所として用地造成されたまま放置されている立神地区に大ドックを建造することを建言するものであった。

○「池原香穉とその周辺──活字と本木昌造と平野富二」
春田 ゆかり|タイポグラフィ学会 事務局長、池原香穉研究家

日本語活字書体のなかで、平仮名書体が注目されて久しい。そのあり方が文面の印象を大きく左右するからだとされています。
しかし平仮名活字書体がどのようにして現在の形にあるのか、その成立期に誰がかかわったのか、その詳細はあまりよく知られていません。

日本の近代印刷・活字の創始者(導入者)として知られる本木昌造の近くにあり、その初期の活字書体の「版下」を手がけた池原香穉(いけはら-かわか)。ながらく詳細不明とされてきたその人物像について 近年判明した事柄と、彼が平仮名書体にあたえた影響と役割について、タイポグラフィ学会 事務局長であり、池原香穉研究家である春田 ゆかり氏が講演いたしました。

詳しくは、『タイポグラフィ学会誌 09号』「近代初期「平仮名活字」の書き手について──池原香穉とその周辺 〈春田ゆかり〉」に掲載されています。→
タイポグラフィ学会 プレスリリース

○「子孫からみた 平野富二と縁者たち」
平野 正一|平野富二 玄孫

平野富二 玄孫の平野 正一氏が、「子孫からみた 平野富二と縁者たち」について講演いたしました。

○「長崎県印刷工業組合所蔵の手引き式活版印刷機と印刷用ニカワローラー製造器の資料評価について」
片塩 二朗|朗文堂 代表

今回のイベントに際し、「平野富二 生誕の地」碑 建立 記念祭 会場には、長崎県印刷組合所蔵の長崎新町活版所の境 賢治(1844-?)が、明治期に使用していたとされる「インキローラー鋳型 Ink roller mould」が展示されました。

また同時に、これも貴重品の同組合所蔵の「アルビオン型手引き印刷機」二台もあわせて、展示会場中央に展示されました。

きわめて貴重なものですが、平素は長崎県印刷会館に収蔵庫のなかにしまわれています。今回、長崎県印刷組合 青年部のみなさまに搬入と搬出をおこなっていただきました。

その長崎県印刷工業組合所蔵の「手引き式活版印刷機」と「印刷用ニカワローラー製造器」の資料評価について、片塩 二朗氏が講演いたしました。